いつも神様が目の前にいる、隣にいる、と思って生きる。

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「神様の祝福を受けている人は、行動に責任を持たなければいけない」と、ふと思いました。

神様から祝福を受けているからといって、いざ現実の世界で ”何でも許されるから好き勝手していいや” となっていくと、ズレて罪を重ね、サタンの思うツボに嵌る原因になりかねないな、と。

なによりも、神様がガッカリされるのではないかと思います。

「常日頃から、いつも神様の前で過ごしているような行動を心掛けている」と、悪いことをしたり 無駄口を叩いたりした時に、些細なことでも 罪悪感を感じます。

そして、悪いことをした時は、「いつ何時も 善良に生きよう」と、その都度 悔い改めます。

神様の目の前では、サタンですら畏れて悪いことはできないと思います。

サタンは、こっそり隠れて悪事を働くことしかできないからです。


神様の祝福を受けている人は、どんな場面でも護られていると 自身でも感じるだろうし、周りにいる人も”この人は護られている人だ”と なんとなくでも感じるのではないかと思います。

「この人からは、どうしてこんなに底知れない強さを感じるんだろう」

「何だかわからないけど、この人といると、清く 心が綺麗になる」

「”世間一般で皆が欲しがる 幸せの条件(社会的地位・お金・友人・結婚・子供など)”を持っていないのに、どうしてこの人はこんなに幸せそうで、喜びに溢れているように感じるのだろう」

「この人は、どうしてこんなに迷いなく、まっすぐに生きられるのだろう」

きっと、周りにいる人は こんな風に感じ取っているのではないかと思います。

見た目には派手ではなく むしろ目立たない人のように見えても、聖霊を受けて 善良に生きようとしている人は、光り輝く存在に見えるのではないでしょうか。

少しでも良心がある人なら、そのように感じ取ると思います。

逆に、サタンに主管されている人は、神様に愛されている善人に対して 反発心を感じるかもしれません。

“反逆してくる人間サタンにやられっぱなしになるのではなく、賢く頭を回転させ、サタンの攻撃には一切動じない強さを持つこと” は、これからの義人に必要だ」と、ここ最近 強く感じます。

神様と一体になっているならば、「サタンも手を出せないくらいの底知れない強さを持って、行動する」し、「底知れない喜びと愛が溢れる」だろうし、「光り輝く存在になる」しかありません。

神様から祝福されているからこそ、その祝福を受けて 現実の世の中でも それを態度や行動に表していく責任が、これからの義人にはあるのではないかと思います。

「常日頃から責任を持って行動する、神様の代わりに肉体を持つ義人」が増えていけば、“神様を知らない 不満足に彷徨っている人”も、義人から聖霊を感じて 救われる機会が増えていくかもしれません。

「神様と一体となり、限りなく神様に近い肉体を持つ人間になること」を、神様は望んでいらっしゃると思います。

「自分は聖霊を受けている・善良に生きようとする義を行う者である・神様を一心に愛している」という自覚のある人は、「いつも神様が目の前にいる、隣にいる、と思って生きる」よう心がけてみてはと思います。


神様から直接啓示を受けているのは、この世でたった一人の中心者RAPTさんのみです。

2016年秋の有料記事から、時代の中心者RAPTさんを通して 次元の高い神様の御言葉を 直接聞けます。

畏れ多くもありがたい、貴重な御言葉です。

サタンが獄に入れられる最後の成約時代だからこそ、神様は中心者を通して御言葉を伝えてくださっています。

この世のどんなことより御言葉を聞くことを優先せずして、何を得られようか、と真に思います。

どうか一人でも多くの方に読んでいただけますように。

有料記事は、こちらです。

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